2024年2月10日
【モデルコース】
JR天竜川駅_徒歩23分(1.6km)_龍泉寺_徒歩39分(2.8km)_蒲神明宮_徒歩6分(400m)_将げん町(遠鉄バス停)_バス13分_浜松駅
半径1kmの旅で味をしめた私は、少し距離を伸ばして自宅から半径2kmの旅を計画することに。
意外にも自宅周辺は、源範頼公ゆかりの地であることがわかりました
源 範頼
源頼朝の異母弟で、平家討伐の総大将として、弟義経と共に活躍するも、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ、伊豆国へ流され悲劇的な最後を遂げる。
源範頼は、蒲(現浜松市)で生まれ育ったため「蒲冠者」と呼ばれる。
自宅がある蒲地区の出身者に歴史上の大人物がいることを知り、範頼公の足跡を巡る旅へと出かけます。
龍泉寺
JR天竜川駅から南へ約1.4kmの所にある稲荷山龍泉寺(曹洞宗)は、源範頼公の別荘地だったが、室町時代にこの別荘地を寺とし、範頼公を寺の開基として境内の南東に供養塔を建立し奉祠している。
住宅地の中を歩いていると木々が生い茂った場所が目に入ってきます。グーグルMAPを見なくても恐らくそこが、龍泉寺だろうと予測がつきます。でも念のためグーグルMAPで確かめると「駒塚(源範頼公 愛馬慰霊碑)」と龍泉寺より南に出てきます。気になったので先にそちらへ行くことにしました。
駒塚は、日本庭園のように綺麗に整備されてました。よほど地元の方に大切にされている場所なんだなと感じます。車通りもほとんどなく静かで落ち着いた場所にあります。
龍泉寺の前に着くと「範頼の供養塔」と目立つように建っています。
寺の境内から1本道を挟んだ隣にあり、一瞬どこ? ここ?と思います。
範頼の供養塔は、この写真の塀の中にあり、境内の中にないのは、少し不思議な気がします。
塀の中の墓地内にある大きな五輪塔が範頼の供養塔です。
他の方々のお墓がある同じ敷地にあります。
少しわかりづらい場所にあるかもしれません。
民家の横に整備されている砂利の参道を歩いて行くと歴史を感じさせる古い門が出てきます。が、何も門について案内板がないので、築年数や門の名前がわかりませんでした。
この門の左にひっそりと桜の木があります。この桜の木は「石戸蒲ザクラ」と言い
源範頼公ゆかりの埼玉県北本市より後継樹として寄贈された。と看板に書かれています。門をくぐると、梅の花がちらほら咲き始めてました。境内は様々な木々が杜をつくり住宅街の中に自然豊かなリラックスできる落ち着いた空間が広がっています。
本堂の前には、ここにも範頼公に関係する桜があり「範頼桜」と命名されてます。
よほど、桜が好きな方だったのでしょう。
蒲神明宮
JR天竜川駅から西へ約2.5km所にある蒲神明宮は、浜松でもっとも古い由緒をもつ神社で天照皇大御神、豊受比売神が鎮座する。藤原鎌足公から10代目にあたる孫の藤原静並(蒲家の祖)が、伊勢神宮のご神託により蒲24郷を開拓。さらに伊勢神宮を勧請して蒲神明宮を創建し、開拓した土地を伊勢神宮に寄進し蒲御厨となった。以来、伊勢神宮に倣い、20年毎の式年遷宮を続けている。
次は住宅街の森から袖師ヶ森と呼ばれるうっそうとした森までロングウオーキング。
龍泉寺から西へ約30分。
浜松市内の道は、歩道が狭く歩行者には危険な道が多いため、車に気を付けてあるきましょう。車がビュンビュンすぐ横を通りすぎていくので危険を感じることも。
旧東海道(国道152号)沿いにある蒲神明宮の一の鳥居が見えてきます。
隣の2階建ての建物と同じ高さのため、普段この道を車で通ると鳥居があることに気が付かないほど、地味~に存在してます。
一の鳥居をくぐり参道を北上していくと、二の鳥居が見えてきます。
その横には、またまた、源範頼公に関係する桜があります。
源範頼はこの蒲の地で育てられ、兄の源頼朝の挙兵に応じて関東に向かう時に、大好きだった桜の苗木を持参し自分の居城に植え、それを蒲桜と言うそうです。
やはり範頼公は桜が相当好きだったようですね。
蒲神明宮のある袖師ヶ森はとても静かで空気がおいしく感じる森です。ここも住宅街の中にありますが、幹線道路に挟まれた場所にあるため、一歩この閑静な森に入りこむとすぐ裏手の大きな道で車が走ってるとは思えないほど静かな場所です。
凛としますよ。
この後は、蒲神明宮を南下すると遠鉄バスのバス停「将げん町」があるのでそこからバスに乗って浜松駅に行くのも良し、もしくは旧東海道を東へ歩きJR天竜川駅に行くのも良いでしょう。
私は自宅へ戻るため東へ。
途中、民家に挟まれた場所に梅が綺麗に咲いてました。春が近いですね。
浜松市が、こんなにも範頼公と関りがあったなんて驚きではないでしょうか。
地元の人たちは、そんなの当たり前と思われるのかも知れませんが、
私のような他の土地から来たものは、浜松=徳川家康の方がなじみがあるものでですから。
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