浜松・家康の散歩道を歩く旅

小さい旅

2021年5月4日
地元・浜松市街地の歩く旅を紹介します。
今回参考にしたのは「家康の散歩道」。
HP:(公財)浜松・浜名湖ツーリズムビューロー
https://hamamatsu-daisuki.net/ieyasu/walking.html
ガイドブック:日帰りウォーキング東海 JTBパブリッシング
JR浜松駅を出発して戻ってくるルートで全て歩き。
約9.8km-14,000歩のルートとなります。

公式HPによると「家康の散歩道」には、「合戦ルート」と「城内・城下ルート」の
2つのルート設定があるが、今回は良く行く場所を省略しながら
2つのコースを合わせたルートとなります。
JR浜松駅⇒松尾神社⇒金山神社⇒五社神社・諏訪神社⇒浜松城出丸跡⇒鎧掛松⇒浜松城
⇒亀山トンネル⇒犀ヶ崖⇒普済寺⇒再来院⇒宗源院⇒JR浜松駅

JR浜松駅

では、久しぶりの「歩く旅」スタート!
まずは「JR浜松駅前」から。

浜松駅前も少しずつ変化してます。タワーマンションも3棟目が出来上がり
都会っぽくなってきました。


浜松駅の東には「浜松アクトタワー」。高さ212.77mの高層ビルです。
「音楽の都」を目指してる浜松のシンボルタワーでハーモニカの形になっています。

JR浜松駅から西へ「遠鉄新浜松駅」方面へ。

遠鉄百貨店本館と新館の間の通路兼イベント広場。
朝早いからかコロナの影響なのか?人がいないです。


通路から見たそびえ立つ「浜松アクトタワー」。


松尾神社目指して西へ西へ。本当に人がいないです。少し寂しい。


感じの良い通り。浜松にもこんな場所があったのか。
まだまだ知らない事ばかりです。

松尾神社

西へ西へ行っていたつもりが、いつの間にか南の方に向かっており少し
迷いながらも最初の目的地「松尾神社」に到着。

和銅年間(708~715)創建と伝わる。
徳川家康が浜松城構築にあたり、現在の地に移る。
浜松城の祈願所であり、歴代城主から飾松の寄進を受けるなど
浜松藩と深い関係があった。

続いて金山神社に向けて北へ。

車通りも少なく、歩く旅はやはり早朝が気持ちよく歩けます。

金山神社

浜松の鍛冶集団は織田信長と徳川家康が武田氏を滅亡させたあとに
甲斐の国から技術者を移住させたのが起源とされ、この鍛冶集団が
勧請したのが金山神社。現在も鍛冶町の氏神として信仰を集めている。

金谷神社からすぐ北にあるのが五社神社・諏訪神社。

五社神社・諏訪神社

五社神社は、もともと浜松城内に祀られていたが、2代将軍秀忠の産土神として
家康の命で現在の地に遷座した。諏訪神社は、3代将軍家光の命により現在の
場所に遷座。徳川家から崇敬されてきた両神社は、1960年に1つの神社として
合祀された。両神社とも、国宝に指定された建造物があるも、戦災で焼失した。

続いて浜松城出丸跡へ向かいます。
こちらも歩いてすぐの場所にあります。


県境を跨ぐ移動は


自粛を
早く平常に戻りますように願ってます。

浜松城出丸跡

徳川家康が浜松城にいた頃は、本丸や二の丸からは独立した施設で
南の防御を固める役目を果たしていたと考えられている。

中央図書館の脇にひっそりとありました。何回も中央図書館に行ってるのに
今まで全く気が付きませんでした。

続いて浜松城を目指して北へ。その前に

鎧掛松

三方ヶ原の戦いに負け、浜松城に逃げ帰った家康が鎧を脱いでこの松に
掛けたといわれている。

浜松城へ。


浜松城へ向かう気持ちの良い通り。

浜松城


今回は浜松城の見学はせず、浜松城公園内を北へ素通りしていきます。


浜松城からの浜松市内の眺め


浜松城公園からの浜松城の眺め


浜松城公園内にあるスターバックス
休日のすがすがしい朝に一杯のコーヒーを。

浜松城公園内を素通りして北へ北への前に少し西へ。

奥山線跡の遊歩道

軽便鉄道奥山線跡を利用した遊歩道を歩いて北へ向かいます。
街中の雑踏から解放され、静寂な気持ちの良い遊歩道です。


情緒漂う赤レンガの亀山トンネル。


トンネル内部。


街中にいると思えない気分で歩けます。


昭和39年に配線となり跡地を歩行者・自転車専用道路に。

犀ヶ崖古戦場

遊歩道を抜けると目の前に見えてきます。

三方ヶ原の戦いで大敗を喫し、命からがら浜松城に帰りついたその夜、
家康は武田信玄に一矢報いるべく、鉄砲隊をひきいて夜襲をかけた。
武田軍は混乱し、次々と犀ヶ崖の深い谷に転落し、多くの命を失ったと
伝えられている。


犀ヶ崖、今は崖崩れ防止用にコンクリートで固められているため
当時の様子が伝わってこない人工物化しており残念な状態となっているが、
谷底は深く、ここに馬ごと落ちたらと思うとぞっとします。
※全然、良い写真が撮れない場所です。

本多肥後守 忠真の碑

武田軍との戦いで敗戦が濃厚になった際、忠真は主君家康の命を守るため、
自らしんがりを買って出て、武田軍の猛追撃を食いとどめ、
徳川本隊の後退を守りきり、刀一本で敵中に斬り込み討死にしたと
いわれている。

夏目次郎左衛門 吉信の碑

三方ヶ原の戦いの際、主君家康の身代わりとなって敵陣の前に立ちはだかり、
討死にしたといわれている。

一通り見学したら、犀ヶ崖古戦場に隣接する
犀ヶ崖資料館(無料)に立ち寄ると良いでしょう。

この後は、姫街道を南に行き寺巡りとなります。車通りが多いため
奥山線跡の遊歩道で戻った方が良いでしょう。

普済寺

遠江における曹洞宗の拠点となるお寺。
三方ヶ原の戦いでは、兵火にあって伽藍が炎上。
その後も災禍により被害を受けたが再建された。
由緒ある寺として徳川氏の保護をうけ、家康も客殿を寄進した。

山門

江戸時代初期建立。
境内があまり整備されていない印象でこの山門も放置されてる感がひどい。
何も案内板もなく、あとで調べて古い山門だったんだとわかった始末です。
もう少し整備した方が良いでしょう。


たぶんですが、「水の澄んだ池があり、月の名所としても知られたが今は雲夢橋が残るのみ」
と入口の看板に記載があったのでこの橋のことかと思いますが。。。
それにしても禁煙の看板だらけ、少しは、橋の名前や由来など書いたらどうでしょうか。

続いて西へいくと再来院です。

再来院

謀反の疑いから佐鳴湖畔で38歳の生涯を閉じることとなった
家康公の正室・築山御前の霊廟(月窟廟)がおかれている。

毎年4月下旬~5月上旬には本堂前庭の藤が美しく咲き誇り、訪れる人の目を楽しませている。

更に西へ行くと、宗源院、最後の目的地となります。

宗源院

普済寺13派のうちに数えられる歴史の古い曹洞宗の寺院。
境内には三方ヶ原の戦いの際に奮戦し討死にした成瀬正義や外山小作、遠藤右近など
徳川方の武将のお墓がある。

ここからは、浜松駅まで一気に歩いて戻って、歩く旅の終了です。
時間にして約3時間。ちょうど良い歩く旅コースではないでしょうか。

ただ残念なのは、後半の寺巡り、どの寺もウォーキングルート上のお寺として
あまり整備されてる印象がなく、結構がっかりポイントになってしまいました。

ですが、このコロナ禍の中、久しぶりの歩く旅で気分もリフレッシュです。

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