名古屋日帰り旅 2019 G/W ② 名古屋城

日本100名城

2019年5月4日
トヨタ産業技術記念館をあとにし名鉄・地下鉄と乗り継いで「名古屋城」へ向かいます。

地下鉄名城線・市役所駅から名古屋城へ。東門から入城する前にランチにします。
ランチは「ドルフィンズアリーナ」1階のレストランで名古屋名物「きしめん」を食べます。

きしめんやうどんの味にあたりはずれがないように思いますが。どうでしょうか?
どこのレストランも満員で大変そうでしたが、ここは比較的席も空いており
メニューも豊富にあったのでおすすめできるのではないでしょうか。

名古屋城

徳川家康9男の義直が尾張初代藩主として名古屋城に入り、以降御三家筆頭尾張徳川家の居城として発展した。1612年(慶長15年)加藤清正・福島正則ら西国大名20家に名古屋城築城の普請(土木工事)を命じた。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、1612年(慶長17年)にほぼ完成した。

東門から入城しましたが、やはりここもチケット売り場前で列ができてました。
名古屋城には何回か来てますが、並んだことはなく、今回はじめて並びました。

東門を入るとすぐに本丸御殿待ち時間「70分」と案内が出てました。
恐るべしG/W。天守閣は現在、耐震性が低いことに対応するため、閉館中との事なので、
本丸御殿の見学を楽しみにきたのですが、断念しました。外観だけ味わいます。

東南隅櫓(辰巳櫓・重要文化財)
清正公石曳きの像を左手に見て直進すると東南隅櫓が見えます。
他の城では天守閣に匹敵するほどの大きさです。
屋根二重・内部三階の櫓。武具が納められてた。

表二之門(重要文化財)
表二之門から本丸へ入っていきます。
現存する数少ない名古屋城創建時の建造物。

本丸御殿

初代尾張藩主の住居・政庁として使用するため、1615年(慶長20年)、徳川家康により建てられた。部屋数は30を超える平屋建て。1930年(昭和5年)には、天守閣とともに国宝に指定され名建築として知られていたが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失。2009年から復元工事が始まり2018年6月8日に全体公開となった。

本丸に入るとすぐに本丸御殿が見えてきます。新しいだけあって木の色が眩しく輝いてます。
創建当時もこのように輝いていたのでしょうね。浜松もそうですが、戦争により重要な建造物
など国の宝が消失してしまい非常に残念に感じてならないです。

小天守と本丸御殿と長い行列(70分待ち)

天守閣

1930年(昭和5年)、城郭建築における初めての国宝に指定されるも、1945年(昭和20年)の名古屋空襲により本丸のほとんどを焼失。現在の天守は、1959年(昭和34年)に名古屋のシンボルとして再建された鉄骨鉄筋コンクリート造の建造物。耐震性が低いことに対応するため閉館中。また、豊富な資料に基づき、天守閣の木造復元を進めている。

ぜひ、木造復元を実現してもらいたいです。当時の名古屋市長が
「木造復元も100年以上たてば重要文化財!になる」ような事を言ってましたが、
確かにその通りだなーっと感じます。未来の子供たちのために後世に残る建築物を残して
あげてほしいと思います。

不明門から本丸を出て天守を左まわりに見ながら進みます。

剣塀
大天守と小天守を連結する櫓台。塀の軒に槍の穂先が並んでいる。大天守への敵の侵入を
防ぐ。との事で、肉眼ではわからなかったのですが、写真を拡大するとそれらしき
槍っぽいのが無数に並んでいるようでした。たぶん。

西南隅櫓(未申櫓・重要文化財)
1921年(大正10年)、災害により倒壊。名古屋離宮時代の宮内省により1923年(大正12年)
に修復された。そのため、鬼瓦などに菊花紋が見られる。
櫓ではなく、もはや天守閣のような堂々とした櫓。

西之丸に戻り東門から退城します。東門では、「現在、本丸御殿の待ち時間100分!」と
係員がアナウンスしてました。100分も日陰なしの炎天下に並ぶのはつらいだろうな。
と思いつつ我々一行は次の目的地「徳川園」に向かいます。

徳川園編につづく。

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